震災から5年を迎えたREES記録集と連動した本企画。記録集に収録される鋤柄修・中同協会長と岩手・宮城・福島の各代表理事の談話を紹介します。
会長談話
震災から5年~教訓を未来へ
中小企業家同友会全国協議会会長 鋤柄 修
私たちは、2011年3月11日の東日本大震災、東京電力福島第1原発事故から5年を迎えます。私たち中小企業家は震災によって被害をうけた地域や産業の復興のみならず、原発事故によって絶たれた歴史、文化を取り戻し、未来をつくりだそうとたゆまない努力と実践を続けています。私たちはあらためて震災からの教訓をまとめて次世代につないでいくことが重要です。
未来へつなぐ教訓の第1は、同友会理念「3つの目的」の総合実践のもと「同友会型企業づくり」で地域の再生・復興の希望となっていくことです。被災地の会員からは同友会で学んできた経営指針や「労使見解」、社員教育、そして会員同士の「絆」がその大きな力になったということが異口同音に語られました。
第2は、地域の担い手である中小企業家としての誇りと自覚を持って、社員の方たちも巻き込みながら、今こそ中小企業憲章の精神を地域の中に伝え、広げていくことです。同友会が地域の中核となって、その地ならではの新しい仕事をつくり出し、雇用を生み出す地域循環型経済づくりに取り組むことが復興の光となっています。
第3は、エネルギーシフトの学習と実践をすすめることです。エネルギーシフトは再生可能エネルギーによる地域内自給(地消地産)をめざすことで、中小企業の仕事と雇用を生み出し、持続可能で質の高い暮らしと仕事を総合的に地域全体で実現しようとするものです。中同協では、「中小企業家エネルギー宣言(討議資料)」やエネルギーシフトの実践における5つの視点を提起しています。
第4は、自然災害への対応・対策を企業・地域・同友会にて進めることです。全国的に自然災害が多発しています。直接的な被害だけでなく、間接的な被害も起っています。企業においては事業継続計画(BCP)の策定や、各地域でも環境適応計画(レジリエントシティー)が進められています。
第5は、未来にむけて同友会運動を広め、企業づくり・地域づくり・同友会づくりを一体の運動として取り組み、同友会で学ぶ仲間を地域に増やしていくことです。被災地では同友会を強く大きくすることが、地域の再生と活性化につながることに自信と誇りをもって、同友会運動を地域の隅々に広げています。
震災や原発事故は全国的な課題です。震災を「風化」させず、自らにかかわる課題として、その教訓をつないでいくことが必要です。今こそ、未来を見据えて、中小企業家が主体者としての社会的責任を果たしていきましょう。
代表理事談話【岩手同友会】
震災の教訓を残し、伝え続けることを使命として
岩手県中小企業家同友会 代表理事 田村滿・村松幸雄・吉田ひさ子
これまでの全国の皆さまからのご支援、ご尽力、お力添えに心より御礼申し上げます。
発災から6日目、全国の皆さまからの支援物資が新潟・山形・秋田を経由して陸前高田に届きました。
高速道路が封鎖され、燃料が全くないなか、全国の同友会のバトンリレーで私たちの手元に、その想いが届きました。そこで気仙支部の仲間が集まり、200カ所以上の避難所があるなかで支援物資が行き届いていない避難所に、1つひとつ要望をお聴きしパッケージして支援物資を届けました。
同時に、「1社もつぶさない、つぶさせない」をスローガンに掲げ、同友会会員だけではなく、地域の被災した企業や経営者も含めて、「岩手の企業を1社もつぶさない」と動きました。震災の被害のなか、私たちは社員の雇用を維持するよう会員や会員外の経営者に呼びかけました。必ず社員の力が復興の源泉になるということを阪神淡路大震災から学んでいたからでした。
岩手同友会では東日本大震災から間もなく3年という2014年2月に、エネルギーシフト研究会を発足しました。地域の人口減少、少子高齢を打開するため、そして震災からの復興を実現することを目的に立ち上がりました。発足以来これまでに学習会、地元の行政や各企業への訪問、2回のドイツ・スイス・オーストリア欧州視察を通じ、企業と地域でのエネルギーシフトの実践へ向けて進めてきました。
2015年4月1日、岩手県の中小企業振興条例が施行されました。実質的には県内で初めての中小企業を対象とした振興基本条例です。その前年6月に行われた憲章4周年の集いでは商工会議所連合会・商工会連合会・中央会・同友会の4団体共催で行い、県・各団体との憲章やエネルギー問題で連携が深まり、地域全体から「憲章、エネルギー問題なら同友会」と意識いただくようになりました。エネルギーシフトについても理解が広がり、本年度策定予定の中小企業振興基本計画に具体策が盛り込まれる予定です。
このように、震災翌日に震災復興本部を立ち上げ、安否確認から支援物資の配送、企業と社員、地域を守るための行動、そして条例、エネルギーシフトへと動きが展開できたのは、今思えば阪神淡路大震災時に同友会がどう動き、何を守り、絶望の中で未来をどう描いたか、その教訓があったからでした。
震災当時、私たちは東日本大震災を「未曾有(みぞう)」と表現していました。当初は甚大な被害をみるとそう思っていましたが、のちに「未曾有」ということに違和感を覚えました。明治以降の現在までの110年間で7つの大きな地震が日本で発生しています。実は被害の大きさとしては未曾有といわれた東日本大震災よりも、関東大震災のほうが大きな被害といえます。
私たちは、根本的に災害が起きることを前提に、地域づくり、企業づくりを進めて行く必要があるのだと思います。今回の教訓を残し伝え続けることが、私たちの使命であり、お世話になった皆さまへの一番の感謝の思いを伝えることになると思います。
代表理事談話【宮城同友会】
地域の負託(ふたく)に応えられる企業づくり同友会づくりを
宮城県中小企業家同友会 代表理事 佐藤元一・鍋島孝敏・五十嵐弘人
2011年3月11日に発生した東日本大震災につきまして、全国の皆さまからのどこよりも早い多くの支援物資と熱い支援にあらためて感謝申し上げます。震災時、宮城同友会は520社以上の会員が直接被害を受け、間接被害も含めるとほぼ会員全員が被害を受けました。震災直後の全国同友会の絶大なネットワークによる支援は3月14日には支援物資受入体制を確立し、19日からは被災地に支援物資を届け、多くの命と暮らしを助けることができました。
被災地域で市民を巻き込んで復興のリーダーシップを取っていたのが宮城同友会の仲間であったこと。そして震災から2カ月後の5月に「地域の復興は若者とともに」を掲げいち早く再開した共同求人活動と12月に開催した「2011全国共同求人交流会in宮城」を通して「地域の雇用を担う中小企業の存在意義」を地域に発信したこと。
この2点は、震災から5年を迎える現在において宮城県内に広がる中小企業振興基本条例制定と推進運動(白石市、仙台市、南三陸町、山元町)に宮城同友会がかかわる大きなエンジンとなっています。
震災後に開催した総会の中で「震災前と震災後でもやるべきことは変わらない。判断力、理念、経営計画書、社員との信頼関係があれば震災はおろか日常のいかなる課題にも対応できる」と確認した内容は、現在、宮城同友会の仲間たちが被災地で証明してくれています。
石巻では「仲間を増やす運動の前進」、気仙沼では「自社と地域のイノベーションの実践」、南三陸、岩沼、亘理(山元町)では「中小企業振興基本条例制定運動」に取り組んでいます。特に南三陸町が中小企業振興基本条例制定運動の取り組みから実施した全事業所調査(480事業所対象)の中間報告では「経営計画の金融機関への提出、月次決算、人材育成の仕組み、就業規則、賃金規定がある企業が早期の操業再開に結びついている」との結果から、経営指針を成文化し実践していたかどうかが操業再開のスピードと地域の復興に直結していたことが明らかになりました。
一方で情勢は激変し時代の転換点を迎えています。震災直後から確認してきた「震災特需後の企業づくり、地域づくり」が今まさに現実となりました。企業も地域も変化が求められている時代の中、「人を生かす経営」をさらに推進していくためにも情勢を正しく認識し、地域の負託に応えられる企業づくり、同友会づくりに取り組むことが全国の皆さまからのご支援に応えることだと考えています。東北における宮城同友会の役割を自覚し早期に1200名会勢実現に取り組みます。
理事長談話【福島同友会】
福島再生の主役として
福島県中小企業家同友会 理事長 千葉政行
震災発災の翌3月12日、東京電力福島第1原子力発電所1号機が水素爆発。3月14日には安孫子健一本部長(当時理事長)のもと災害対策本部を設置。原発事故の沈静化の見込みが立たない中での今後の対応について連日にわたり検討しあいました。
当面は事務局機能の早期復旧を図りながら、会員企業の被害状況の把握に全力をあげました。電話がかかりにくいなか、インターネットがつながりやすいという教訓を生かして、e.doyuをそれまで一部会員のみに付与していたIDを全会員に発行しました。掲示板機能を使って、会員が双方に状況を発信・共有できるようしました。さらに原発事故により会社を離れそれぞれがバラバラに避難せざるを得なかった会員には携帯電話のメールアドレスを登録。同友会の仲間としての「絆」をつなぎ続けました。
全国の会員からいただいた義援金が福島同友会を救ってくれました。義援金の中から初めて拠出したのが700万円でした。現金10万円をつめた見舞金70束を用意し、原発から30キロメートル圏の会員に直接手渡すことにしたのです。当時の相双地区会長高橋美加子さんは、「あの時、私たちには同友会があったんだと気づいたんです」と語っています。自分たちは同友会があって、仲間が全国にいるんだという強い思いを実感することができました。
東日本大震災発生から1年を直前にひかえた2012年3月8~9日、福島県郡山市で第42回中小企業問題全国研究集会(全研)が開催されました。「震災1年、強い絆のもと、われら断じて滅びず」をテーマに全国47同友会から約1600名が参加しました。中小企業家の連帯で被災地の復興と日本の再生を実現しようと決意を固めあう2日間となりました。
地震、津波、原発事故と歴史上類をみない三重苦を背負ってしまった福島同友会相双地区では、震災当時のそれぞれの状況。その後も続くさまざまな苦難に翻弄されるなかでの会員一人ひとりの思い。そして復興に向けてくじけずに奮闘する会員の姿を何とか形にしたいと東日本大震災記録集『逆境に立ち向かう企業家たち』を1年がかりで2013年3月発刊しました。この編集にあたり全国の事務局員(10同友会21名)の全面的な取材協力を得て、全国の同友会の絆の結晶の記録集といわれるものになりました。
福島においては、震災は「現在進行形」のままです。今もなお福島県民の10万人近くが県内外に避難しています。震災から5年目の2015年、震災対策本部を改め「福島REES」を立ち上げました。中同協「REES」の福島版として継続活動をしていきます。震災記録集第2弾の発行も準備しています。
おかげさまで福島同友会の会員は元気です。震災後も相双地区、いわき地区はじめ会勢を増やしてきており、現在1800名を超え、最高会勢を更新しています。2017年2月、福島同友会は会創立40周年を迎えます。2016年の活動スローガンを「中小企業が輝く福島へ、地域再生モデルを発信しよう!」と定めました。同友会型中小企業づくりの推進で、40周年を2000名会員で迎えよう。
そして、同友会の会員企業1社1社が、福島再生の主役となっていく決意を固めあっています。