「絆~復興をめざして」では岩手・宮城・福島の3県を中心に東日本大震災からの復興についてさまざまな取り組みを紹介してきました。震災から4年以上が経ち、震災の現場はどのようになっているのか。今回から福島の復興状況について福島同友会会員の皆様から寄稿いただき、現場の声を数回の連載で紹介していきます。
2011年3月11日、震災のあと福島第1原発に津波が到達します。避難指示エリアが次々と拡大され、自主避難を含め多くの会員が、避難先を転々とします。あれから4年7カ月、福島同友会会員は少しづつ力強い歩みを始めます。
今でも私の脳裏に映像として思い浮かぶ忘れられない出来事があります。
義援金の中から初めて拠出したのが700万円。現金10万円をつめた見舞金70束を用意し、原発から30メートル圏の会員に直接手渡すことにしたのです。
ちりぢりになった相双地区会員が久しぶりに集まることになり、当時県専務理事の私は、佐藤事務局長(当時事務局次長)と南相馬市に向かいました。
その夜、会場には30名ほどの相双地区会員が集まっていて、再会を喜びあっていました。ただ、私と視線を合わせようとしない会員もいて、すぐわかりました。哀しみや嘆き、怒り、そして「私たちは見捨てられたんだ」という思いにつつまれているのだと。
でも、一人ひとりに見舞金を手渡し始めたら、「何んだこれー!」「本当にいただいていいの!」次々と声が上がってきたのです。「これは全国の同友の仲間の義援金が原資なんで、全国の会員に感謝してね」と、たしなめるほどです。みんな笑顔、笑顔で、私も「今日、みんなでパーッと使っちゃったら!」と軽口も言えるようになりました。
当時の相双地区会長高橋美加子さんは、その夜のことを含めて「あの時、私たちには同友会があったんだと気付いたんです」と語っています。
震災から5年目の今年、震災対策本部を改め福島「REES」を立ち上げました。中同協「REES」の福島版として継続活動していきます。震災記録集第2弾の発行を準備しています。福島を悩ましく、難しくしている放射能災害についても、少しずつ薄い皮を剥がすように精査していきます。
当社は25名ほどの小さな会社ですが、震災後、社員のお子さんが10名誕生しました。福島で育てています。
福島カラー印刷(株)会長 増子 勉(福島REES担当常任理事)