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【被災地で企業再生に奮闘する経営者】 (3)岩手同友会会員

カテゴリー: シンポジウム

生きる、共にくらしを守る、人間らしく魅力的に生きる

(株)八木澤商店 代表取締役・岩手同友会理事 河野 通洋氏(岩手)

 

■報告者会社概要
資本金:1,000万円
社員数:37名
年商:4億円
事業内容:味噌醤油製造
URL:http://www.yagisawa-s.co.jp/

 

 震災では津波による被害で店舗、工場、事務所、全てを失いました。何もなくなってしまった中、被災直後に当時専務だった河野氏は、社長交代を申し出、自社の経営理念を「生きる、共にくらしを守る、人間らしく魅力的に生きる」に変え、社長として必ず再建する決意をします。そしてその年入社が決まっていた新入社員も含め、雇用を続けてきました。

 昨年秋、本社を陸前高田に戻しました。2年が経過しようとする今、新たな味噌醤油製造工場が完成。奇跡的に味噌醤油の命であるもろみが発見され、夢に描いてきた自社製造が再開します。全国の皆さんに支えていただき、一歩一歩社員と共に、自社と地域の再生へと歩む姿を報告します。

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生き残った人と一緒に生き残るために

 

 (株)八木澤商店は1807年創業の醸造業、醤油屋です。震災前は80%が地域のお客様で、そのうち50%以上のお取引先が気仙沼市、大船渡市の水産加工のお客様、食品会社のお客様でした。陸前高田市は震災前の人口が2万4,000人、震災後が2万人をきっている状態です。なかでも事業所は35.4%が全壊、流出をしました。

 八木澤商店の社員も勤続30年のベテラン社員が、点呼をとるところまでは一緒にいたのですが、消防団活動に行って、そのまま戻りませんでした。私はこの時社員に「みんなだめになった。なにもない。でも、生き残った人と一緒に生き残らないといけないので、必ず商売は成立する。醤油屋ができるかどうかは分からないけれども、必ず再建しよう」という話をしておりました。この時私は頭の中で借金がどれくらいあるか、現預金がどれくらいあるかを考えました。そして社員の給料が売上げゼロで何カ月持つかを計算し、8カ月は持つだろうという、非常におおまかな計算をして再建することを決めました。

 

絶望の中でも人間らしく

 

 当時、私は専務取締役でしたが、父である社長が当時東京に行っており4日間戻って来ることができませんでした。その間に避難所で社員と一緒に話をして、再建する約束をしました。4日後に前社長が帰って来た時に、「社長を任せて下さい」というお願いをしました。全部背負いました。銀行にも行って「私の個人の命一つで借金をさせて下さい」というお願いを聞いてもらいました。

 どうやって会社を立て直そうかということを考えたときに、自分の支えになったのは同友会の考え方でした。  「生きる、共にくらしを守る、人間らしく魅力的に生きる」ということは、赤石中同協相談役幹事が何回もおっしゃっていることですが、私は震災の4日目の朝に、この3つの基本方針を八木澤商店再建の柱にし、再建するということを決めました。

 

新しい仕事をつくり雇用を生み街を再建する

 

 その後、全国の同友会の仲間や岩手県内のお取引先の契約栽培の農家さんなどから、たくさんの支援物資が集まりました。陸前高田市は行政の職員の約4分の1が亡くなっており、行政の機能が停止した中でどうやって隅々まで物資を配布しようかと考えると、民間の力が絶対に必要だろうと思いました。そこで、われわれ同友会のネットワークで救援物資を配ろうということになりました。

 岩手同友会が最初に行ったのは、金融機関のフリーダイヤルを全て印刷して、避難所に救援物資を配りながら、避難している経営者の方に「ここに直接連絡して、資金の流出を止めて下さい」という呼びかけをしたことから始まりました。

 また、社会保険労務士の仲間を呼んで、どうやって雇用を維持するかという勉強会も行いました。社員の生活を守る方法は2つありました。一時休業して雇用保険でつなぐ方法と、雇用調整助成金を使う方法です。私は雇用調整助成金を利用し雇用を維持したまま再建する方法を選びました。陸前高田の85%の事業者が被災して、その事業主が一斉に解雇したら恐らく町がなくなります。町がなくなったところで、再建しても事業が成り立たないことが分かっていたからです。

 岩手同友会では、毎年盛岡で合同入社式を行っていますが、震災当時われわれは盛岡まで行けませんでしたので、気仙で合同入社式を開催致しました。その時私は非常に感激をしまして、そのことは今でも覚えています。もともと岩手県陸前高田市というのは、産業が衰退しておりました。「このままだとこの街は駄目になる」ということがきっかけで立ち上がった支部です。「できるだけ1社も潰さないでいこう」「1社1人でも良いから、雇用を生み出していこう。そのためには経営者が勉強して、新しい仕事をつくっていこう」というのが、活動の主軸でしたので、震災後も「1社も潰さない」と掲げて活動してきました

 

「社長、後は任せて下さい」

 

 八木澤商店もなんとか経営再建と言うことで震災後隣町に事業場所を移し、その年の5月に同業者の方が委託で生産したものを供給してくれました。これも日本の中小企業のなせる技だと思います。そういう日本の中小企業の協力があって再建ができました。

 また、「ミュージックセキュリティーズというファンド」では、民間の個人の方々が、被災地の企業を応援するという趣旨で出資していただき、八木澤商店は今日現在で、全国から3,120名以上の方が出資者となっております。

 その甲斐あって、一時陸前高田から離れましたが、八木澤商店本社を陸前高田市の矢作町という津波が来なかった地域に移しました。また工場も完成して、実は昨日初の仕込みをすることができました。これもみなさんのご協力おかげだと思っております。

 震災前と比べて、気仙地域全体では4,700人が雇用を失いました。しかし85%の事業者が被災したなかで、これしか減らなかったのは奇跡的です。この1~2月で、総数でほぼ100%雇用が回復しています。今は人口が減少していますが、これから先新しい仕事を創り、雇用を創出すると人口は回復すると信じています

 先日、私は社員が言った言葉に励まされました。「最悪な状況を最初に知ってしまえばあとは良くなるだけです。大丈夫です。社長、後は任せて下さい」と。これからも社員とともに希望と展望を持って復興に向けた歩みを一歩ずつ進めていきたいと思います。

(記録:岩手同友会事務局 加藤麻美)

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