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【被災地で企業再生に奮闘する経営者】 (2)宮城同友会会員

カテゴリー: シンポジウム

“ふるさと気仙沼”を輝かせる

(株)八葉水産 代表取締役・宮城同友会理事 清水 敏也氏(宮城)

 

■報告会社概要
創業:1972年
資本金:2,000万円
年商:40億円
社員数:165名
事業内容:水産加工食品の製造販売(いか塩辛・めかぶ・もずく・しめさば・瓶詰めなど)
URL:http://www.hachiyousuisan.jp/

 

 東日本大震災で6工場全てが被災したものの1年で操業再開し、現在は社員と一丸となって全国に商品を提供しています。また、前掛け用の帆布を用いたオリジナルバッグなどを手がけるGANBAARE(株)を新たに設立し、販売店「ギャラリー縁」には県内外から多くの人が訪れます。「地域の復興は自社のイノベーションから~新しい価値の創造~」を宮城同友会気仙沼支部の活動スローガンに掲げ、自ら実践を続けています。

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仲間と意地と責任が原動力

 

 気仙沼の地名は、古くは計仙麻(けせま)と呼ばれていました。由来はアイヌ語のケセモ(最端の港)から転じたと言われております。また、リアス式海岸が形成する気仙沼湾は、世界三大漁業の基地の一つとなっています。気仙沼は大島が大きな盾となるので、台風が来ても荒れない港町として知られています。

 昔から“海の町”ということで漁業がメインの地域でした。マグロやカツオといった皆さんに親しまれている良質な魚が獲れる場所です。漁業の他にも、「味噌、醤油、酒、米」の製造が盛んな町です。なぜそうした4つの製造が盛んなのかというと漁師が航海をすると約40日は帰れないのでその食糧としていたからです。

 気仙沼の水産加工品で最も名物なのが「イカの塩辛」です。気仙沼で塩辛が名物になった理由は、カツオ漁の時、餌となっているのがイカであったため、大量に仕入れたイカが余ると塩辛としてつくっていたと言われています。㈱八葉水産でもイカの塩辛を扱い、現在こちらをやっと作れるようになり全国に広げている状況です。

 震災当時に6工場を持っていたのですが、そのうち本社工場が形もなくなるほど被災しました。そして1年半かけて何とか第2工場を造り、立て直すことができました。海側に多く工場が建設されていたので、山側にも加工工場を建設しました。

 震災前は150の商品があり、70の商品で売り上げの70%を支えていたのですが、今はまだ25の商品しか作れてはいないのでまだまだこれからといったところです。

 ほぼすべての工場・市場が地盤沈下を起こしていまして、何センチかのかさ上げを行いました。この際行政から補助金が出てこない場合があることには驚きました。

 震災から立ち上がる原動力となったものはやはり同友会の「仲間」そして「社員」でした。こうした人のつながりの後押しがなければ、心がすさんで踏む込むことができなかったのではないかと思います。もうひとつは「意地」です。当社の生産活動ができなくなり、ライバルメーカーが盛り返し、いい話しか聞かないのです。「見てろ、ひと泡吹かせてやる」と燃えました。また、社長といわれてきた「責任」。「仲間」と「意地」と「責任」、この三つが私を奮い立たせた原動力だったのではないかと思います。

 

“ふるさと気仙沼”を輝かせる

 

 くじけそうになる私を支えてくれたのは社員でした。その社員から「社長」と言われていた責任がある以上、仕事をつくり続けていくことは当たり前だと考えました。

 悩んだ末に一時的に解雇した社員は、ガレキ撤去を手伝ってくれました。しかし、独特の臭いのなかで自分たちが一生懸命つくった商品をかき出して、沖合まで船で運んで1パックずつ開封して廃棄しなければならないというとても辛い作業でした。それでも毎日60名くらいの社員が来てくれたので、私の家族や事務の社員がつくった炊き出しを一緒に食べました。

 同じ釜の飯を食べた社員を私は「戦友」だと思っています。その「戦友」と一緒に仕事ができる喜びがあります。苦しいことを共有して乗り越えると希望が生まれます。この希望が大切です。確かに震災は辛いことでしたが、今までにない経営ができていると実感しています。

 震災後すぐに「GANBAARE㈱」という気仙沼の帆布を利用したオリジナルバッグやポーチを製造販売する会社を立ち上げました。この会社は将来の“種まき”のための会社です。(当日このGANBAARE㈱製の福島の各地名をあしらったポーチが販売され、売上金6,000円が福島同友会に寄附されました)

 社員の前で復活宣言をしましたが、その時には労働環境や福利厚生などの保証は何もないのです。あるのは人と人とのつながり、気持ちと気持ちの繋がりだけです。そうは言っても、経営者としてそれに甘えてはいけないので、社員が未来を描ける会社をつくることが私のやるべきことだと考えています。

 今回の震災で、気仙沼だけでなく太平洋沿岸では多くの尊い命が失われました。それによって未だに立ち上がれない方々もいらっしゃいます。一人ひとりにあるかけがえのない役割を発揮しながら、命を守り、地域に営みをつくっていく使命が私たちにはあります。

 わが社の商品のパッケージ裏に「私たちの仕事は美味しい味をつくり味を未来に残す。そして味をつくる風景を残す。その味はクオリティが良くて、正直につくることに向き合い、この美味しさづくりこそが復興に役立つと信じて、それを続けていることが私たちの仕事だと思います」と書いています。商品を手に取って召し上がっていただくお客様に伝えるために、商品をつくる私たち自身が忘れないために書いているのです。

 復興には「アイデア」「技術(クオリティ)」「驚き」の三つが必要です。一年目は感謝の年でした。二年目を過ぎて三年目に入る今年は「挑戦」と復興への情熱をさらに熱くする年だと思います。日本全体が良くなっていくように今後もみなさんと力を合わせて“命”を守れる町づくりをしていきます

(記録:宮城同友会事務局 古積尚記)

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