基調講演 「原発とエネルギー問題」
山川 充夫(福島大学うつくしまふくしま未来支援センター長)
1947年、愛知県生まれ。地域経済論。福島県復興ビジョン検討委員会(座長代理)、福島県中小企業審議会(会長)など。
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東日本大震災から2年がたちましたが、復興はなかなか進んでいないのが実態です。そして福島の場合、目に見えない敵との闘いがまだまだ続いています。表面的にはニコニコしていますが、話が進んでくると涙が出てくるという状況に置かれています。これまでの災害との大きな違いは、われわれの五感で感じることができないということです。そしてそこから逃れようとしても、どのようにして逃れればいいのか、目に見えないということがあります。そしてさらに風評というものがあります。これまでとはかなり異なった状況にあります。
原発・エネルギー問題については、さまざまな考えがあります。しかし、福島でなければ言えないことがあるだろうと思います。日本全体が忘れつつあるということがあるのかもしれませんが、この数カ月で外国からの問い合わせが増えています。国際的には、福島がどうなっていくのかについて、日本以上に注目を集めています。
私たちの役割は、事実をどう伝えていくか。そして今後、どんな取り組みをしていくのか。失われた大地から自然をどう取り戻すのか。そしてその上で人々のつながりをどう回復していくのか。こうしたことを世界や日本の支援を受けながら力強く前進していかなければならないと思っています。
1.原子力災害の困難
原子力災害の困難性についてはご承知のとおりです。放射性セシウムについては、最近は線量データとしてはだいぶ下がってきたと言われています。しかし放射性ヨウ素は、今では計測することはできないわけですので、どのくらい広がりがあるのかわからないという点もあります。そして現在もいろいろなところで除染が進められていますが、その一方、ホットスポットが新たに形成されてしまったということが、なお出てきています。
日本では、天候が良ければ偏西風によって西から東に風が吹きます。福島第1原発が爆発したときにある面で幸いだったのは、放射性物質のほとんど多くは太平洋側の方に流れているのです。しかし、不幸にもその後雨が降り、雪が降ったのですが、そういう時には内陸側に風が吹くわけです。そのため放射性物質の一部が内陸部に流れてしまったのです。
その点では、日本全体のことを考えた場合、実は新潟や能登半島の原発の方が危ないと言えます。ましてや日本海を挟んだ対岸には、この間、核実験をやった国もあるわけですし、韓国も日本海側に原発をおいています。つまりこれは、天気がいいと偏西風が吹きますので、東側に流れる確率が高い。福島より他の地域の方が危険性があるということを強調させていただきたいと思います。
どういった被害状況にあるのか。私は大きく三段階に分けて考えています。一次被害(地震・津波による被害、原子力災害による被害、放射能汚染)、二次被害(仮設住宅、低線量被曝、風評被害、人口の域外・県外流出)、三次被害(放射性廃棄物中間貯蔵施設による風評の固定化、帰還と町外コミュニティに伴うアイデンティティの危機、高台移転による減災とその合意形成の難しさ)です。そろそろ「被害」から「問題」という言葉に切り替えた方がよいという考え方もあります。
福島県の深刻さは、人口が域外に流出しているということです。原発が水素爆発した直後に避難するというより、その後じっくり考えてから避難する人がいるということです。そして戻ってこようとした時に、今後の人生設計をどこで描くかということが問題になっています。
避難先からの帰還の問題では、戻る時にコミュニティやアイデンティティは維持できるのかということについての危機感もあります。また、高台移転は合意形成がなかなかうまくいかないということがあるようです。
このように、前の問題が解決される前に次の問題が積み重なってきているという状況にあるのです。しかも、それが地域によって状況が異なるのです。
災害復興研究所が2011年9~10月に双葉郡八町村の全2万8,184世帯に対して行った調査(回収率48%)では、強制避難者の状況について次のような結果が報告されています。
避難先は福島県内が69%、関東地方が22%、その他が9%で、北海道から沖縄県まで広がっています。避難先変更回数は3~4回が47%、5回以上が36%、その他17%で、避難先を転々とせざるを得ない状況にあることがわかります。そして家族の離散については「あり」が98%と、家族がバラバラにされています。帰還条件については、「戻る気がない」(25%)、「他町民帰還後」(26%)、「除染計画後」21%、「インフラ整備後」16%で、特に子育て世代は「戻る気がない」が46%と高くなっています。「戻る気がない」理由としては、「放射能汚染の除染が困難」83%、「国の安全宣言への不信」66%、「原発事故収束が期待できない」61%となっています。帰還を「何年待てるか」の問いには、「1~2年」40%、「2~3年」23%、「1年以内」12%と、長くは待てない状況が明らかになっています。また、すでに2年が経っています。
「うつくしまふくしま未来支援センター」(以下、未来支援センター)がまとめた『意見募集結果の概要』(2012年10月22日)は、1,000人以上の県民へのアンケートの結果です。
そこでは、風評被害についての福島県民の不安についても調査しています。それによると、「自分や家族、周囲の人が福島県外に出た際に、福島県在住であることで何らかの不利益や不快感を被ったことはあるか」の問いに「ある」が30.7%、「あなたは福島への風評被害によって不利益を得たことがあるか」の問いには「ある」が34.7%となっています。一方、「震災以降、県外の方と接した際に感じた意識・認識のギャップ」は「ある」が49.7%、「福島県民であることで、現在あるいは将来、県外の人と接する上で不安はあるか」の問いには「ある」が56.3%となっています。風評被害による不利益もさることながら、意識・認識のギャップからくる不安がなお収まっていないことが見て取れます。
2.帰還・町外コミュニティ
福島県が策定した「福島県復興ビジョン」(2011年8月発表)は、私も検討委員会の委員(座長代行)として関わりました。その基本理念には以下の三点を掲げました。
①原子力に依存しない、安全・安心で 持続的に発展可能な社会づくり
②ふくしまを愛し、心を寄せるすべて の人々の力を結集した復興
③誇りあるふるさと再生の実現
復興ビジョンについて議論をしているとき、当初は知事も「廃炉にする」とは言っていませんでした。議論を進める中で、理念が正式に決定し、その後行われた福島県議会選挙では、全ての候補者が「脱原発」を掲げました。そうした動きの中で知事も「廃炉にする」と言い、福島第2原発についてもそのような姿勢を強めています。
私がこだわったのは、福島県から発信しないでどこが発信するのかということです。原発問題について福島はきちんと議論をした。そしてこれからもきちんと取り組んでいくんだということを世界に発信していきたいと思います。
原発事故後は、警戒区域などの設定により地域が分断されました。その見直しの中で、帰還困難区域、居住制限区域、避難指示解除準備区域に再び線引きが行われ、飯舘村は一つの村が三つの区域に分けられてしまっています。それぞれの町で復興計画がつくられていますが、その中で楢葉町は3年後の帰還を想定し、富岡町は5年後の帰還、大熊町は10年後の帰還を想定しています。町外コミュニティをつくる時も、何年後の帰還を想定するかで、どのようなインフラを整備するかが違ってきます。
もう一つは受け入れる側の課題です。避難している町村の首長は、集中型の町外コミュニティを形成したいという思いが強くあります。しかし受け入れ側にも独自の町づくり計画があるわけですので、集中型の場合、そこに切り離されたコミュニティができてしまう。できる限り分散型にできないかとの意見が出されています。これもきちんと議論をすれば必ず解決の道は出てくると期待して動きを見ていきたいと思います。
3.うつくしまふくしま未来支援センターの支援活動
福島大学では2011年7月5日に「未来支援センター」を立ち上げました。設立の目的は、「東日本大震災及び東京電力福島第1原子力発電所事故に伴う被害に関し、生起している事実を科学的に調査研究するとともに、その事実に基づき、復旧・復興を支援する」ということです。
主な活動として、「こども・若者支援部門」では仮設住宅などで暮らす子どもたちを福島大学に集め、教員と学生が一丸となって学習や遊びを支援する「土曜子どもキャンパス」を実施しています。また浪江高校(避難によりサテライト校を設置)などの生徒に対し、授業の一環として、自分の将来を見据えたキャリア形成を支援しています。
「環境エネルギー部門」では、地上からの放射線量の測定をもとに、日本で初めて汚染マップを作成し、当該データを国や県に提供しました。放射線の測定に関わる方などを対象に、放射線の正しい知識や測定方法、得られたデータの正確な解釈の習得を支援しています。
「復興計画支援部門」では、双葉郡内約2万8,000世帯を対象に「災害復興実態調査」(2011年8月)を実施し、多数の避難者の声を集約しました。この調査結果は国や県でも活用されています。伊達市小国地区(特定避難勧奨地点)に対しては、農地・住空間の放射線量分布マップを百メートル単位で作成し、農産物の六次産業化にかかわる支援を実施しています。
「企画コーディネート部門」では、福島県内の被災した歴史・自然史資料の実態把握と危機に瀕する資料に対する救出・保全活動を実施しました。また学生たちと連携・協力しながら、福島大学に開設された避難所の運営、被災地支援ボランティア、復興支援住宅などでのコミュニティ形成・コミュニケーション支援などを実施しています。
仮設住宅の建設にあたっては、プロポーザル(企画提案)方式の導入を県に提言しました。当初、福島県はある協会と1万2,000戸のプレハブ住宅をつくる契約をしていました。実際は1万6,000戸が必要となりましたが、他県も被災しているので1万戸しか提供できず、急きょ県内企業を中心に6,000戸調達することになったのです。そのときにつけた条件は、県内に本社があること、県産材を使うことでした。そしてプロポーザルを実施し、結果としてログハウス風の仮設住宅など、すばらしいものができました。そこからの教訓は、地元とどう結びつくかということです。「経済の地域循環」ということが言われていますが、地元に本社があることが一番重要なポイントだと思います。そのことで法人税が自治体に入りますし、地元の人とも長いおつきあいになるので、ていねいな仕事が行われるからです。
4.エネルギー政策と地域経済
戦後の日本の一次エネルギー供給量の電源別動向をみると、原子力への依存がずっと高まってきていました。今回の事故を経て、エネルギー戦略の転換が求められています。
政府の「エネルギー・環境会議」の第三回会合(2011年10月)では、日本のこれまでのエネルギー戦略の変遷を振り返りながら、1990年代の「経済効率性の追求」「エネルギーセキュリティの確保」「環境への適合」という戦略に加え、大震災後のエネルギー・環境戦略には「安全・安心」が必要であることを指摘しています。エネルギー選択を行うために重要な4つの視点として、
①原子力の安全確保と将来リスクの低減
②エネルギー安全保障の強化
③地球温暖化問題解決への貢献
④コストの抑制、空洞化防止
をあげています。
そして2030年に向けて原子力の比率をゼロ、15%、20~25%にする三つのシナリオを提示しています。
電力価格をどう設定するかという問題もあります。再生可能エネルギーを育てるために「育エネ負担金」ということが出てきています。これも当然、電気料金に被さってきて、私たち消費者の負担増になります。これをいったいどのように考えていくのかということが重要になります。
電力需給の地域差と原発立地を地図に表すと、電力の生産量と消費量を比べて出荷超過になっているのは、原発のある福島県、新潟県、福井県です。東京、名古屋、大阪を中心に150キロ圏の円を書くと、きれいにその外側にあります。
福島県の電源としての状況を見ると、大正の終わりから昭和にかけて、猪苗代水力や只見川水力が開発されて、東京に電気が送られていきます。その後、石炭火力発電、原発が次々とつくられ、この電力も基本的に首都圏に送られていきます。
その結果、特に原発のある地域では、自治体のGDPに電気がどの位貢献しているのかをみると、八割くらいを占めるところもある状況が生まれています。ですから原発が稼動しないということになると、ここをどうするのかが問題になるわけです。
さらに原発立地自治体の財政力の問題です。原子力施設のある自治体は、一部を除いて地方交付税交付金をもらわなくてもやっていける財政状況になっています。国のエネルギー対策特別会計の歳入の部には、「原子力損害賠償支援」という科目があります。これは以前はありませんでした。つまり安全神話の現れです。しかし今回、事故が起きたことで、ここに約2兆円が組み込まれました。これはどこから賄うのかというと、国債・借入金によって賄っているのです。
歳出の部には、「電源立地対策費」「電源利用対策費」(2011年で計1,922億円)というものがありますが、実はエネルギー対策特別会計全体(同4兆4,144億円)から見るとごく一部です。一方、「独立行政法人等運営費、交付金・出資金・整備費」には約2,500億円が使われています。電源三法交付金と言われるものが全て電源地域に来ているわけではないということを、ぜひご理解いただきたいと思います。
5.福島の復興と新産業の育成
福島県復興の主要プロジェクトとしては、「安心して住み、暮らす」「ふるさとで働く」「まちをつくり、人とつながる」をテーマにさまざまなプロジェクトがつくられています。「福島県環境創造センター(仮称)」構想では、環境放射能などのモニタリングや除染技術の開発などの世界的な拠点をつくろうという取り組みも始まっています。独立行政法人産業技術総合研究所の協力を得ながら、福島再生可能エネルギー研究開発拠点をつくるプロジェクトもはじまっています。福島県立医科大学に「ふくしま国際医療科学センター」をつくる構想もあります。
新産業の形成に関連して注目されるのは、福島県が医療機器の生産では日本で第6位ということです。これをどう支援していくのかが重要になっています。
以上、私たちが抱えている課題を概観させていただきました。このあとの皆さんの議論に少しでも参考になれば幸いです
(記録:中同協事務局次長 斉藤一隆)