未来構想を絵にすると、課題も展望も明確になる
7月1日(金)15時より、陸前高田ドライビングスクールで、初めての陸前高田千年みらい創造会議が開催されました。岩手県中小企業家同友会、陸前高田青年会議所、ケセンきらめき大学から約22名、そしてゲストとして専門家10名、ソーシャルビジネスネットワーク大学、インターンシップ生8名の合計40名が参加、どんな展望が示されるだろうという期待感で、会場は熱気に包まれました。
はじめに岩手県中小企業家同友会、田村満代表理事から挨拶があり開会しました。田村さんは「震災から3カ月が経過し、そろそろ高田のビジョンを絵に描いたらどうだろうか。私たちだったらこんな陸前高田にしたい、というものを示す必要があると感じていました。言ってみるものです。そのパース(ビジョン図)を描いてくれる人が突然現れました。そしてこれまでたった1カ月のうちに、それぞれの専門家が全国から4回も意見の摺り合わせに高田を訪れて戴き、描いてくれたのがお手元のパースです。」
そして大きなA1サイズのカラー刷りの陸前高田の将来像が、いくつか提示されました。青年会議所理事長の高橋勇樹さんとケセンきらめき大学の富山勝敏氏(h.イマジン マスター)からは、この間避難所やメンバーと思いをぶつけ合い、賛成も反対もさまざまな意見があったことを紹介した上で、3つの案を提示しました。
案の中心は被害を受けた陸前高田の市街を、現在のまま残し世界に災害防災の記念碑的な役割を示し、防災の最先端の研究機関を設置。防災メモリアル学研都市として後世に残していくというものでした。しかも全ての電力を自然エネルギーとし、地域独立循環型のエネルギーを提言、雇用の場につなげていく。さらに最終的には世界遺産として残してもよいのでは、という大胆な発想でした。
賛否両論は当然のこと
これには、地元の方々からも賛否両方の意見が相次ぎました。「これまで自分たちが暮らしていた地、悲しみの最も深い場所を、外から人を呼ぶためのものにしていいのか」という声や、「こうした被災を受けた高田こそ、防災と自然エネルギーの研究の最先端を行くべき。研究者の方々の叡智を結集して二度とこんなことがないように考える場になってほしい」「お年寄りにはどう配慮するのか、再び津波が来たら逃げられるのか」「本当に雇用につがなるのだろうか」などさまざまな意見が出されました。
田村さんは話します。「誰かが声を出すことで、賛否両論、さまざまな意見が出てくる。そのきっかけになればいい。目的はたったひとつ。この街に人が残り、あの街にぜひ住みたいとやってくる、そして千年続く街にならなければ。それは生き残った私たちの責任だと思う。国連防災大学の誘致、世界遺産へ提言、未開拓のバイオエネルギー分野の先端研究・・・。むしろ反響が大きく、反対意見が多数出るくらい強烈なものでなければ、これだけの災禍を越える力にはならない」。
陸前高田でこそ、中小企業振興基本条例
注目すべきは青年会議所から出された案です。「今こそ陸前高田に中小企業振興基本条例が必要。壊滅した街を復興し、街と人と心をこれまで以上に深くつなげていくためには、中小企業の存在こそが暮らしをつくり、地域再生へと結びつくことをはっきりと言っていくべきではないのか。行政や民間企業などが入った復興へ向けた会議に、中小企業振興会議を同時進行で進めていかないと地域の再生はない」というものでした。
間もなく4カ月。全てが失われた陸前高田で、中小企業の存在が光っています。さまざまな組織や団体の枠を越えて、地域復興という目標へ向け、一丸となって進んでいます。この提言は今後更に詳細を詰め、具体案やスケジュールまで明記した上で、市長へ提案する予定です。