丹野公認会計士・税理士事務所代表 丹野 勇雄(福島)
売上ゼロ~3月末をどう乗り切るか
2011年3月11日。顧問先各社の確定申告を税務署に提出し終わり事務所に戻ったその直後、震度6弱の激震がいわき市を襲った。事務所内の倒れる物はすべて倒れた。3月12日、福島第1原発1号機が水素爆発を起こした。事務所の当座の片づけを手早く済ませ、まず着手したのは15メートルに達する津波の被害を受けた沿岸部の顧問先の安否確認だった。不安は的中。顧問先の数社が津波の犠牲になっていた。
その1つ「観光遊覧船運営会社」は、保有する2隻の遊覧船は奇跡的に無事だったものの事務所は壊滅的な被害を受けていた。途方に暮れる社長のもとに取るものもとりあえず駆けつけた。水没した事務所を片付ける社長のそばで泥にまみれ片づけを手伝った。顧問先支援の第一歩はこうして始まった。福島第1原発事故発生以降は、正確な情報がつかめないまま、とりあえず家族を県外へ避難させ、単身いわき市に戻った。しかし震災後2週間は、銀行をはじめあらゆる営業活動が停止し、町はゴーストタウンさながらだった。
3月後半になっても金融機関はストップしたまま再開の気配がない。手形の決済ができない状態が続くなか、顧問先各社の震災後の売上は一時的に急減またはゼロ。頭をよぎったのはすべての顧問先の3月末の資金繰りである。期日の来た手形が落ちないために入金もなく支払いもできずに心配を募らせる顧問先社長一人ひとりに連絡をとり、こうした非常時には手形交換所は「不渡報告を出さない」というルールがあることを説明。とにかく当座3月末を乗り切れるよう、不足する資金の中でどこにいくら払う、払わないについての確認と打ち合せを行っていった。
顧問先のために“自分に何ができるか”を毎日考えた
(1)独自の放射能レポートの作成
3~4月は放射能が大変デリケートな時期だった。放射能の風評被害は予想をはるかに超える規模で拡大しているにもかかわらず、正確な情報はどこからも出てこない。原発の動向が大変不安定だったこの時期、放射線量に常時注意を払いつつも、顧問先には、目の前の復旧作業に全力を注いでもらいたいと考え、いわき市および近郊の放射線量の最新情報を提供することが役立つのではと思い立ち、独自の放射能レポートを作成した。
県の公式ホームページから計測ポイントごとの放射能数値を取り出し、それに風向きの予想データを盛り込んだ手作りの放射能情報を作成しては、約1カ月にわたり、1日も欠かさず顧問先に毎朝ファックスで流し続けた。
(2)ガイガーカウンターの貸し出しと顧問料の減額
次に当時品薄だったガイガーカウンターをネットで探し出し米国製を2台購入した。国産が出回るようになってさらに追加購入し、これらを顧問先に貸し出した。また、売上の激減した顧問先には、自ら顧問料の減額を申し出た。
4月からいよいよ本格始動。顧問先支援に東奔西走
市内が徐々に活動し始めた4月。顧問先、銀行、ハローワークへ奔走する日々が始まった。
(3)各顧問先の資金繰り・金融機関対応
営業に大きな影響のあった会社の当月中、3カ月後~1年後の資金繰りの予想等を経営者と詰め、必要と判断した顧問先の経営者とともに金融機関に同行し、経営者に代わって相談・説明・交渉を行った。金融機関が求める融資のための現在~将来の資金繰り予想を説明する資料や「経営改善計画書」等の疎明資料を経営者に代わり作成、融資実行のサポートを全面的に行った。平時でも多くの経営者は自社の経営状況を数値で的確に金融機関へ説明するのは不得手だ。在庫や入出金のタイミング、借入方法など、経営者に代わって金融機関に説明し、交渉~書類作成まで一手に引き受けた。
(4)一時解雇者への失業給付申請を代行
売上ゼロが続くという異常事態に多くの会社が見舞われた。こうした会社にとって一番大きな問題は人件費である。以前からあった「失業給付」や「雇用調整助成金」という制度が震災用にアレンジされ、同じ会社に復職予定の社員にも失業給付がおり、事後届出によっても雇用調整助成金がおりることになった。これらの制度を知らない顧客へのアナウンスを行い、申請に必要な書類の作成を引き受けた。特にハローワークへの申請書類作成には時間と手間暇がかかることから、事務所負担で社労士を雇い入れ、早期の支給を実現させた。
(5)国県等各種補助金申請の支援
その後、国や県は被災設備を復旧する企業に対してその設備資金の一定割合を補助する制度を各種創設していった。同制度を申請する顧問先には申請手続きの支援を行った。
(6)東電への法人向け賠償金請求の代行
事業が継続できるかどうか瀬戸際にある中小企業にとって、東電への賠償請求手続きはかなりの負担である。そこで可能性のある顧問先に対し、東電への法人向け賠償請求書の検討、そして手続書類の作成を実施した。作成した先の多くは年末までに賠償金が支払われ息がつけられた。
生き延びる企業のキーワードは『余裕』
大災害が起きても生き延びられる会社の条件とは何だろうか。いやがおうにも考えさせられた。
思うに、一番大事なのは『有形の余裕』を持った経営をすること。松下幸之助翁の「ダム式経営」、稲盛和夫氏の「土俵の真ん中で相撲を取れ」という言葉があるように、内部留保をしっかりとし、平時より備えを怠らない経営を実践していくこと。他人(銀行)の判断に自分の会社の運命を委ねざるを得ないような状況にしてはならない。
2番目は『無形の余裕』を持つ、目に見えない余裕を持つこと。つまり、取引先と良好な関係を保ち、信頼関係を築いておくこと。同じ風評に直面しても取引がなくなる会社となくならない会社があった。
一時的にモノやサービスを供給できなくても信じて待っていてくれる、生産を再開した時に速やかに従来の取引を再開してくれる、安易に取引関係を解消されない、平時には見えてこないこうした深い結びつきを築けているか否かがこうした非常時に如実に表れたと感じている。
『逆境を乗り越える福島の中小企業家たちの軌跡』より転載
丹野公認会計士・税理士事務所 会社概要
創業:2008年
資本金:3,000 万円
従業員数:13名
所在地:いわき市常磐西郷町銭田106-2
事業内容:会計事務所
URL:http://tannokaikei-web.jp/