福島再生へ向けた食品メーカーの闘い
(株)ワタスイ 社長 渡辺 徳之氏 (福島)
福島県須賀川市で食品製造・卸売業を営む(株)ワタスイの渡辺徳之社長(福島同友会会員)は、たび重なる困難に遭いながらも、社員とともに再起へ向け奮闘しています。同社の取り組みを紹介します。
震災、原発事故、風評被害、そして水害
「農業の復興なしに福島の復興もない。明るい兆しが全くない中で、食品加工業としての自社の存在意義が問われている」。
須賀川市にある(株)ワタスイの渡辺徳之社長は、震災、原発事故、風評被害の上に新たに導入した設備まで昨年9月の水害で失うという塗炭(とたん)の苦しみの中、同友会の仲間にもはげまされ、企業グループをつくり社員とともに奮闘しています。
同友会の先輩から「学ぶことは誰かのために役立ってこそだ」と、速やかな実践を促され、そのことが今に生きていると言います。
学生時代に同友会入会 経営者への道
大学3年間で単位を取り終えた渡辺氏は、大学4年生の1994年に福島に戻り、父親の会社で働きながら同友会に入会。16年間続けて全国行事にも参加してきました。
98年に経営指針を成文化し、価格競争が厳しい卸・小売部門が売上の9割を占める状況から、製造中心に大きく舵を切るべきと気づきます。しかし、当時親族経営の同社では、渡辺氏の思いはなかなか通じませんでした。10年がかりで、製造部門へ少しずつシフト。
40歳を前に、代表取締役になり、2009年には、JAファーマーズマーケット「はたけんぼ」((株)ジェイエイあぐりすかがわ岩瀬、福島同友会会員)と連携。「なんのために、だれのために仕事をするのか」と理念を掘り下げ、地消地産へ向け、自社商品の「郷土料理いか人参」「辛し味噌」などに力を入れ始めました。
全壊から再生、そして復興へ
そして昨年3月の大震災。自宅は全壊、社屋や食品など1億円相当の被害を受けました。震災直後は水や自社の在庫の食品を周辺に住む人たちに無料配布し、喜ばれました。
しかし、大型冷凍庫が機能せず、大量に仕入れていた原材料のスルメ1年分はすべて廃棄することに。
「しかし、会社も社員も残った。とにかくオレがやる!」と腹をくくりました。
渡辺氏は「がんばっぺ!」と自分に言い聞かせながら、震災から3カ月目の6月には、検討していた設備の新規導入を決めました。
福島の再生に向けて
経営方針を明確にし、「風評被害を受けた福島県の地域資源のロスを何とかしなければ、復興につながらない。これら農産物を乾燥させ、加工品として新しい命を創(つく)りだそう」と、8月には大型乾燥機が稼働しはじめました。同社ではこれを「FⅡR」(福島フード・リバイバル)の一環と位置付けています。
しかし、9月には台風の影響で水害となり、この設備をはじめ、会社全体が被災。「胸まで水につかりながら、なんとか設備も上に上げようとしたが、間に合わなかった。しばらくは放心状態だったが、同友会後継者塾の仲間が支援に来てくれ、目が覚めた」。
「とにかく事業は再生する」と一念奮起。乾燥機も修理・洗浄し、試作に1カ月半かけて誕生したのが、福島県産リンゴを使った「ご縁りんご」と「ぴっこりんご」。乾燥後の放射線量も基準値を超えないという安全性を確認し、販売を開始。「口の中で生のリンゴに戻る感じ」と好評です。
企業グループで地域の再生
大震災から1年の今年3月、「須賀川いわせ農商工観光連携グループ」をつくり、「中小企業等グループ施設等復旧整備補助事業(*)」に申請し、採択されました。
500ページ以上にもなった申請書には、「地消地産」「農商工観光連携」「地域復興モデル」などのキーワードとともに、「須賀川のわれわれの未来が詰まっている」と渡辺氏は言います。
渡辺氏がリーダーシップを発揮し、勉強会の設営や報告、行政などからも知恵を借りてグループ化を進めてきました。
「知恵を出しあって、須賀川を守りたい」。渡辺氏の強い思いに、最終的に33社が集まり、会社の強みを生かし連携して、新たな仕事づくりをしていくスタートラインにたちました。
事業の再生では乗り切れない被災地から施策提案を
福島同友会須賀川地区会長も務める渡辺氏は、行政との懇談会などを通じて、「自ら政策が提案できる経営者集団になっていく必要があることを痛感した」と言います。
「震災前と同じ仕事をやるだけでは厳しい状況は克服できない。大きく会社を変えるチャンスととらえ、施策も活用し、新たな仕事づくりを広げていきたい」。
復興への闘いは始まったばかり。「ともに、がんばっぺ!」。
会社概要
設立 1974年
資本金 2000万円
社員数 20名
事業内容 食品製造・卸売
所在地 福島県須賀川市卸町
URL http://www.watasui.com/
「中小企業家しんぶん」 2012年 4月 25日号より