全国の皆様の想いが、春風に乗って岩手の地域の隅々に届き始めました。
新潟に集まった全国同友会からの救援物資は、山形、宮城を経由し、18日から毎日直送便で届いています。
現在岩手県内の被災地、特に沿岸部ではまだまだ食料も、生活物資も全く足りない状況です。しかし救援物資の拠点から、配送されず置かれたままの物資も多く、沢山の方々の想いを、本当に困っている人たちに届けられない、もどかしい被災地の現状があります。
避難所においでの方は、まだ定期的な温かい食事の提供や、医薬品の準備などがあり、条件としては良いほうです。厳しいのは小さな公民館や、自宅を開放した小規模避難所です。範囲は非常に広く、行政も把握できていません。電気も水道もまだ復旧せず、食料も十分に供給されていません。移動するにも燃料が全くありません。
血液のように流れる救援物資
同友会の物流ルートは、当初から全く違いました。全国に血管のように張り巡らされた都道府県バトンルートが、いち早くつくられ、私たちが今本当に必要としているものが、血液のように流れています。新潟から届く全国からの便、秋田、青森から直接届く便で盛岡に物資が集められ、沿岸地域に毎日4トントラックとハイエースで配送されます。
女性陣が陣頭指揮
震災後から、陸前高田ドライビングスクールは、物流、情報、人の交流拠点です。物資が届いた直後から女性陣が陣頭指揮をとり、仕分けが始まります。事前に避難所の状況を見てきた人からの情報を整理し「あの避難所では今、大人用の紙おむつが不足している」「あそこには赤ん坊がいるから、粉ミルクを3個追加」「下着が足りないって言ってたよ」などの声を集め、必要な物資が届き次第、その場で箱を解体し、必要な物資をワンパッケージに。それが積み終わると、車が動き始めます。
街はなくなっても生き続ける
物資を乗せたトラックが到着すると「こんなにいたの」と思うほどの人がいつの間にか出て来て、自然にそれぞれの避難所へと車が動き出す。その動きを支えているのが、気仙支部会員企業の社員の方々です。そして「声」を聴いてくるのは、会社も自宅もなくなってしまった同友会の会員です。「何か人の役に立ちたい」甚大な被害を被った地域の人たち自身も、想いは同じです。「やることは以前とは違うけれど、やっていることはいつもと同じ」ある社員が言っていました。街がなくなっても生き続ける中小企業の姿です。岩手の最も南の拠点である高田から、こうしたぬくもりのお届けルートが、大船渡、釜石まで延びようとしています。
涙ばかり出ます。有り難いことです。
今最も問題なのは、一般の家庭に避難しているお年寄りの方々です。自分で給水所に水をくみに行けない。避難所に炊き出しを貰いに行けない。真っ暗な中でじっと声を出せずに我慢している方々です。
[雫石の建築業を営む会員の方の現地レポートから・・・途中抜粋]
3月22日、宮古市の田老町・宮古市・山田町・船越・大槌の5箇所をまわりました。
災害対策本部に行き、状況確認を行いましたが、全く状況を把握できず、支援物資の配給バランスがつかめません。
物資が届いている所と、そうでないところのギャップが大きいです。物資は、大きな避難所ばかりに偏っているようです。
仕方ないので被災地を社員と一緒にひたすら声掛けをして歩きました。小さな災害集落は、断水がまだまだ、続いており食料はほとんど届いていないようでした。
それぞれ、何も届いていないんです。同じ立場の人間なのに。。。
「皆様の気持ち。涙が出るほどうれしいです。」
「この集落には、まとめ役もいないし水も買いにいけません。お店も全て流されました。ガソリンもありません。生活雑貨。本当にうれしいです。しばらく、頑張れそうです」
「ここは、お年寄りばかり。。このように、小さな部落を回って頂きこうして、ご支援まで。。うれしいことです。なんて、言ったらいいか分からないです。こんな年寄りまで大事にしてもらい感謝です。本当にうれしかったです。」
「年寄りに、もっと物資や暮らしの支援が欲しい。」「涙ばかり出ます。有難いことです。」
・・・
本当に必要な人たちにお届けしています。
震災から10日経ち、最も過酷な環境は、映像では見えないところにあります。地域のお客様の顔を見て、声を聴き続けてきた企業だからこそ、できることがあります。皆様からいただいた想いは、本当に必要な人たちに、私たちの手で大切にお届けしています。
岩手同友会ホームページ http://iwate.doyu.jp/news/110323-213833.html