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第48回中小企業問題全国研究集会 【震災復興シンポジウム】

その時経営者が命がけでやるべきこと ~地域あっての中小企業、中小企業あっての地域~

パネリスト
田中 信吾氏 日本ジャバラ(株) 代表取締役/兵庫同友会代表理事/中同協副会長
菊地 逸夫氏 (株)キクチ 代表取締役会長/福島同友会副理事長
コーディネーター
佐竹 隆幸氏 関西学院大学大学院経営戦略研究科教授

佐竹 震災の記憶が風化していくと、南海トラフ地震も「たいしたことがないのではないか」となってしまわないか懸念しています。地震、津波、水害など、どこでも起こる問題です。まずご自身が経験された震災の状況についてお話しください。

その時 何を感じ、どう行動したか

菊地 私は東日本大震災をすべて語れませんから、体験で報告いたします。当社は震災時に、スーパーマーケットを9店舗もち、南相馬に4店舗ありました。私は東京に向かう新幹線の車中で震災に遭い、翌日にタクシーを乗り継ぐなどして戻りました。1店舗は津波で流れ、4店舗は避難指示で閉店しなさいとの通知で、宮城の1店舗は1週間の停電で営業できない状態でした。今があるのは震災の時に前向きに対応したからだと思っています。

田中 神戸の場合は、多くの建物崩壊と、道が狭い密集地帯で火災が発生しました。地震直後は、道路は建物の倒壊でふさがり信号は全滅、家が燃えていて人々はふとんを被って避難し、車も道路の陥没に落ちている横を通って、なんとか私は会社に着きました。

 当社は地元にはほとんどお客様はおらず、地元の人を雇用して地域外で稼いでくる企業です。売り上げの7~8割は上場企業なので、スピードが大事です。生産がストップすると他社に仕事が行き、戻って来ません。

佐竹 神戸の火災は一定の地域でしたが、東日本は広域での津波被害に加えて原発被害がありました。田中さんから、自社の立ち位置の違いの話がありましたが、その点ではいかがでしょう。

菊地 中小企業の役割として、神戸と人口数万人の市や町では、企業数の違いやシェアの違いがあります。当社は、南相馬7万人のエリアの食料品では50%を超えるシェアで、住んでいる人に食料品を提供することが一番の仕事でした。

 どこでトラックを見つけ、ガソリンを手に入れ、どう食料品を調達するか。当社をはじめ多くの物流センターが流され、備蓄もなくなった状況で瞬間的な対応と判断が迫られたという状況でした。

佐竹 田中さんは、先ほど「時間との戦い」の中での復旧、復興ということでしたが、もう少しお話しください。

田中 ライバル企業には被害はないのです。本社では、隣家が全壊して死亡者が出て、その家屋の一部が当社まで入り込み危険だったので、生産機能を三木市の工場に移しました。お客様にファクスで、「工場に被害はなく大丈夫です」と送りましたが大手は信用してくれずに、「こちらに来て説明してくれ」と言うのです。納期を遅らせると流言飛語がおこるので、絶対に守りました。

財務体質とリスクマネジメント

佐竹 自然と新たな一手を打っているように見えますが、おそらく次の一手が即座に打たれた企業はそう多くはないと思います。両社とも、震災の瞬間にある程度の基盤があり、強い経営体質があったからできたことだと思います。金融や財務の関係でのお話はどうでしょうか。

菊地 1989年に社長になった時に、経営者として優先することは会社をつぶさないことと同友会で学びました。リスクマネジメントが私の経営の基本で、起きたら困ることを減らすことを考え、まず大きな店舗から順次災害保険をかけ、料率が下がる時に掛け金を下げずに店舗数を増やし、全店舗に保険が適用されたのは震災前の2月でした。

 震災の時、最優先事項は従業員さんの生活の確保とやる気を下げない、当社で安心して働ける事を見せることでした。震災直後の5月には新規出店の土地を契約し、翌年に出店しました。キャッシュフローがあり自己資本比率も40%を超していたからできたと言えます。

佐竹 震災後の兵庫県では非常に厳しい金融危機がありましたが。

田中 バブル崩壊の尾を引いていた時の震災なので、保証協会の枠がいっぱいで、県で2000万円、市で3000万円の特別枠で借りました。ところが、その年にメインの兵庫銀行が破たんし、みどり銀行になり、その数年後に阪神銀行と統合して現在のみなと銀行になりました。さらに5年くらいでサブの関西西宮信用金庫が破たんします。

 一番怖かったのは、みどり銀行ができて移管される時に、整理回収機構ができたことです。そこに回されたらどこも融資してくれなくなります。なんとかそこにいかないようにとやっていたのが金融危機の時の状況です。

佐竹 震災後しばらくは財務的なリスクマネジメントで努力されたということですね。事業の継続性として、本業重視、地元重視という点ではいかがですか。

菊地 兵庫同友会の震災の記録と訓(おし)え(『阪神大震災物語』、1995年 兵庫同友会編)が本当に助かりました。福島では、まず現金を確保すること、これが合言葉でした。熊本の震災後に現地の友人にも優先事項として伝えました。まずは生き延びることが大事で、これが福島では同友会会勢の減少につながらなかった大事なことだと思います。本当に感謝しています。おかげさまで、地元でやっていく覚悟を決めた企業も多く出てきました。

 当社は、157年の歴史の会社として相馬藩の時から根を下ろして商売してきたという恩があり、また同友会でもお互い仕事で世話になっているわけで、ここから絶対にげないと肚(はら)をくくりました。

佐竹 震災という危機的な状況の中で、全国や広域の展開をしている企業はその地域に見切りをつけていくこともあります。福島は広いですが、県内で拠点を移すようなことは考えなかったですか。

菊地 今は店舗の半分ほどは宮城県にありますが、本店は移すつもりはありませんでした。残念ながら、今でも帰れない、入れない地区もあり、帰れてもお客様がいないところもあります。そういうところは新天地で業務を再開せざるを得ないでしょう。

田中 当時、一生懸命やっていた仲間も多くが消えていきました。神戸市長田区はケミカルシューズ関係の集積地で、中国などの安い労働力にとって代わられるような時だったので、震災で一気に中国へ移りました。まちづくりに一所懸命だった後、気がついたら仕事は中国へいっていた、得意先が淘汰されてしまったということが起きました。

 これを見たときに考えたことは、「点を強くしてそれを結んで線とする、線と線を結んで面とする」ということです。点は企業です。黒字のちゃんとした企業がたくさんあり、その企業と企業を結ぶ線が企業間連携、もしくは学や官と結ぶ連携です。そして連携を結ぶことで面として、地域をよくする。この順番を間違うといけません。われわれは経済人だから、経済を通して国をよくしていく、地域をよくしていく、その源として自社がきちんといていないとできないということです。

事業継続に向けた対応

佐竹 兵庫同友会は、震災後に5年ごとのビジョンをつくってきました。そのビジョンにある「同友会型ビジョナリーカンパニーへの道」は、まず赤字企業は黒字企業にということです。強い企業になることで地域貢献ができ、地域に不可欠な企業になれます。最終的に、地域になくてはならない企業になり、つぶれない企業になります。この点についてうかがいます。

菊地 生き残りを考えて4年前、東北のスーパー4社で資本統合の持ち株会社をつくりました。その前段として大手に対抗すべく、共同仕入れ会社を7年前につくり営業準備しているときの震災でした。設立当時670億の売上も今では890億になり、自分たちで売りたい商品を開発できるようになってきました。今は4社で、青森県、岩手県、山形県、宮城県そして福島県の78店舗で、健全な企業として残れることを目指しています。

佐竹 持ち株会社は意思決定を自社だけでできませんから、「自分の企業」ではなくなる側面があります。一方、小売りの強みとしてエリアが違うと競争相手ではないということをうまく活用されていますが、その発想はどこから出てきたのですか。

菊地 もともとプライベートブランドや輸入品仕入れをおこなうCGCという全国規模の組織に入っている、気心知れた仲間でのことです。それぞれ世代交代の時期にあたり200億、300億の企業を自分の息子に任せてよいのかと悩んでいるときでした。社長が集まると数字の見方は銀行より厳しく、それをお互いの企業継続のために選んだということです。

田中 私は、被災していない企業より前に出ることが必要だと考え、借りた5000万円すべてを新製品開発につぎ込みました。絶対売れると持って行っても、お客様からは「実績はありますか」と問われます。「実績がないから新製品なんです」、「いや、実績がないと使えません」という押し問答で全然売れません。すると今度は社員が新商品にケチをつけだし、売れずに運転資金が枯渇してきます。結果はなんとかうまくいったのですが、震災後は常に資金との闘いでした。

 そして商品が売れ始め、次々と新商品を開発してきました。守るのでなく攻めないと生き残れない。信用強化のために自己資本比率を高め、リーマンショックの時には自己資本率が50%ほどになっていました。

地域になくてはならない企業へ

佐竹 今回のテーマにある「地域企業」とは、中同協でもまだ定義を明確にしていませんので、みなさんに考えていただきたいのです。地域で求められている企業とはどういうことか、それはつぶれない企業になることだというのが、両者のお話でした。地域になくてはならない企業に向けて、震災の局面の中で何をしてきたか。リスクマネジメントや財務体質の強化、イノベーションとしての開発型企業、持ち株会社や企業連携などでした。お二人に今後の方向性をうかがいます。

菊地 昨年からホールディングスの社長につきました。私の役割は、4社の後継がうまくいくこと、各社のリスクを減らすことです。監査室を各社につくりホールディングスとしてガバナンス強化をする事だと考えます。スーパーは衛生管理が重要な課題です。食中毒ひとつで会社がなくなってしまいます。しかし、やってみると4社でルールが違っているなど、問題がいろいろ出てきます。そのリスクを1つずつ取り除いています。リスク管理の考え方に立ち財務管理、人材育成についても取り組んでいきます。

田中 設備関係の業界では無人化が進んでいて、BMWやベンツなどではほとんど工場に人がいません。そういうところへ、いかに当社の製品を入れて品質と価格の競争に勝つかです。また、事業承継問題で企業が減少するといわれていますが、ある流通大手の多国籍企業には、つぶす会社のリストがあるといわれています。その業界に入っていくということです。そういう中で、同友会で黒字企業を増やさないといけません。

 昨年、兵庫同友会の「NTレポート」(景況調査)で778社の回答があり、黒字が61・5%、トントンが23%、赤字が14・7%でした。「辞書の1ページ」の色が赤ばかりだったらどうするんですか。同友会活動と運動で黒にしましょう。

 ダーウィンはミミズの研究に44年間を費やしたそうです。ミミズは、見た目は悪いけれど土地を肥沃化します。まるで地域の中小企業みたいです。見えないけれどもコツコツ土地を耕していくミミズが元気にならないといけません。

佐竹 私は地域イコール中小企業だと思っています。同友会は「学びのプラットフォーム」です。同友会で教えていただいたのは、経営者としてのリスクヘッジは学ぶことであり、情報を収集し発信することが必要だということです。そのために、プラットフォームに参加するわけです。ここには企業家精神があり、好きだからこの仕事をして発想が湧き、生き残る策が湧いてくるのです。何よりも自社を存立させていくことによって、地域のため、従業員のためになり、「三方よし」です。力量にあった範囲で、長くその地で経営していくことが最も重要であると、本日の共通認識にしましょう。

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